2016年07月24日

ラダックの旅(11) ジャンムー・カシミール州@

ラダックは、インドの北西端「ジャンムー・カシミール州」の一部です。
 この州についての説明をしておきたい、と思います。
 国とは何か? 国境とは、どういうものか? 戦争と平和とは、どのようなことか?
「中華人民共和国」とは、どのような国であるか?
 ――いまアジアの核心ともいえるさまざま問題が、ジャンムー・カシミール州の歴史の中に凝縮しているように思えます。
まるで何もかも、かつてこの州であったこと。まるでデシャブです。
ただ、わたしたちは、ここでかつてあったことを(わざとかどうか)見ないようにしていました。
なぜ、ここに現代の諸紛争の原型があるか?
国境地帯だからです。
それは、インドとパキスタン、そしてまた、インドと中国が、かつて領土をめぐって戦争をした現場です。そしてまた、いまもそれら3国の「軍」が向き合う紛争の現場です。それらの紛争の背景に、中国のチベット解放(侵略)と占領という思い事実があります。
それはインドの北端に位置し、ヒマラヤ山脈やカラコラム山脈の一部が走っています。面積約22万平方キロ、人口は100万人余りです。yjimage[1].jpg
近年の歴史を、簡単に見ておくと――
英植民地時代は、藩王国として、イギリスの間接統治を受けていました。
1947年、インドとパキスタンが別々に独立します。
この藩王国が、インドとパキスタンのどちらにつくか?
藩王は、名前から考えて、シーク教徒でした。でも、インド編入ではなく、「ジャンムー・カシミール国」としての独立を望んでいたといいます。
しかし、住民のほぼ7割は、イスラム教徒です。まさに英領インドがインドとパキスタンに分裂した理由なのですが、ジンナーの指導を受け入れたイスラム教徒たちはパキスタンへの帰属を求めて立ち上がります。藩王やインドの側から見れば、暴動です。
鎮圧に、藩王の要請を受けたインド軍が出動します。すると、パキスタン軍も出動します。
第1次印パ戦争の勃発です。1947年10月でした。
1947年8月の両国の独立の直後のことです。
国連の仲介で停戦が成立したのは、48年12月です。
ジャンムー・カシミールは、軍事境界線を挟んで、インドとパキスタンがそれぞれ実効支配する二つの地域に分断されました。ladakhimage2411[1].jpg
戦争は、これで終わりません。
先の第1次印パ戦争から15年後のことです。
もう一つの国境紛争が起こります。今度は、中国とインドの戦い、中印国境戦争です。
posted by Yoshimura_F at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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